「無駄をなくすということは、
口に出して言うのは簡単でも、
実行するのは難しい。」
「事業は必成を期し得るものを選び、
いったん始めたならば百難にたわまず勇往邁進して、
必ずこれを大成しなければならぬ。」
「平々凡々と人の下にいるのは、
死ぬこととさえ同じ。
これは私の性格である。」
岩崎弥太郎(出典:ウィキペディア)
三菱財閥の創業者で初代総帥。明治18年(1885年)2月7日18時30分、弥太郎は胃がんのため、満50歳で病死した。
弥太郎の死後、三菱商会は政府の後援で熾烈なダンピングを繰り広げた共同運輸会社と合併して日本郵船となり、後を継いだ弟の弥之助は帝国議会の創立時に天皇から勅選され貴族院議員となった。
現在では日本郵船は三菱財閥の源流と言われている。失敗した事業として、樟脳事業、製糸事業、東京の水道がある。
日本で初めてボーナスを出した人物である。
明治9年世界最大の海運会社である英国のピー・アンド・オー社との競争で社員は給与3分の1を返上し、経費削減を実行し、ビジネス戦争に勝利したため社員に年末に賞与を支給した。