「もともとありもしない「限界」にこだわると、
己れの力に疑問をもつようになりしくじったり、
できなかったとき「ああこれが俺の限界だ、
もうダメだ」とギブアップしてしまう。」
「一生懸命やっている人を小馬鹿にするのは、
自分がかなわないから笑うことで逃げているのだ。」
「「闘いのロマン」という引き出しこそ、
もっとも開けて欲しいものなんだ。」
アントニオ猪木(出典:ウィキペディア)
1943年2月20日、神奈川県横浜市に生まれる。
5歳の時に父が死去。実家は石炭問屋であったがエネルギーの中心が石油に移り変わり倒産。
13歳の時に母親祖父兄弟とともにブラジルへ渡りサンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごす。
ブラジルでは陸上競技選手として砲丸投げで優勝するなど活躍。ブラジル遠征中の力道山の目に留まり直接スカウトされる。
1960年に帰国し日本プロレスに入団、デビューする。
1964年にアメリカ武者修行に出発帰国後猪木をエースとする東京プロレスを旗揚げするも倒産。
その後日本プロレスに復帰するが度重なる確執から1971年に追放処分を受ける。
翌年新日本プロレスを旗揚げ。WWWFと提携してプロレス黄金時代を築く。
1989年にスポーツ平和党を結成。参議院議員選挙に出馬し当選。
1998年にプロレスを引退する。
2022年10月1日7時40分全身性トランスサイレチンアミロイドーシスによる心不全のため都内の自宅で死去。