「苦しいときこそ船と仲間を
命がけで守れる人でなければ、
大将になってはいかんのです。」
「最も重要なのは1番目が志と理念、
2番目がビジョン、
3番目が戦略です。」
孫正義(出典:ウィキペディア)
在日韓国人実業家の二男として佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に出生。
父親の三憲が密造酒製造販売と消費者金融・パチンコ業で大成功し、長じてはパチンコ店数十店舗を所有し高級車を何台も保有するほどの裕福な時期もあった。
シャープに自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。
インベーダーゲーム機を日本から輸入。1980年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業後に日本へ帰国し、福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立。
自分で考案した「音声機能付き他言語翻訳機」を当時シャープ専務の佐々木正に約1億円で売り込み、大銀行の紹介・融資の手引きをされて1億円の融資を手に入れた。
その資金を元に米国で事業を起こし、1981年には福岡で不動産・産廃業を営む母方の親戚の在日韓国人から1億円の出資を受けて日本で起業する。
現在はソフトバンクグループの創業者として知られている。