「万策尽きたと思うな。
自ら断崖絶壁の淵にたて。
その時はじめて新たなる風は必ず吹く」
「人と比較をして劣っているといっても、
決して恥ずることではない。
けれども、
去年の自分と今年の自分とを比較して、
もしも今年が劣っているとしたら、
それこそ恥ずべきことである。」
「志を立てるのに、
老いも若きもない。
そして志あるところ、
老いも若きも道は必ず開けるのである。」
松下幸之助(出典:ウィキペディア)
父が米相場で失敗したのち小学校を中退し9歳で丁稚奉公に出たが、くじけることなく多くの経験を糧として商売人としての心得を学んだ。
明治43年に開通した大阪の市電が電気で走るのを見て、電気事業の将来性を感じとり電気の世界へ第一歩を踏み出す。
大正6年に手元資金わずか95円で独立し、生活していた狭い借家に工場スペースをつくり、妻と妻の実弟などと改良ソケットづくりをスタート。
厳しい試練をのりこえ大正7年に本格的に電気器具の、製造・販売に着手するため松下電気器具製作所を創業する。
経営の神様とも呼ばれパナソニックを一代で築き上げた経営者で、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動を行いさらに、晩年には松下政経塾を立ち上げ政治家の育成も行う。