「七転八倒
つまづいたり
ころんだりするほうが
自然なんだな
人間だもの。」
「おまえさんな
いま一体何が一番欲しい
あれもこれもじゃだめだよ
いのちがけでほしいものを
ただ一ツに的をしぼって言ってみな。」
相田みつを(出典:ウィキペディア)
1924年栃木県足利市に6兄弟の三男として生まれる。
旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌や絵に親しんだが、喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。
卒業後は歌人の山下陸奥に師事し1942年に歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学び1943年に書家を志して岩沢渓石に師事し本格的に書の修行を積んだ。
作品に対して妥協を許さず「逢」というたった一文字を書くために、何百枚何千枚と紙を使用した。
また印刷のわずかなズレや墨の色の微妙な違いから、印刷済みの色紙千枚がボツになったこともあった。
挫折を乗り越えてつくりあげられた作品には、自らの実生活が重ね合わされているのが特徴である。